この記事は『「物語に基づく医療」を社会システム論から考えてみる』の前編と中編の続きになります。
過去2回の記事で、当記事作成の経緯、《物語に基づく医療(以下NBM)》についての再確認、そして《交換様式》についての簡単解説をしました。
後編では、いよいよ、やっと、ここに進みます。
NBMは「患者の価値観」を、エビデンスや専門家の知識経験と同じように重視するものだった。
交換様式論は、柄谷行人氏が提唱した「社会構成体の発展を捉えるための枠組み」だった。
そして筆者は、「NBMって、柄谷さんが言っていた自由で平等な交換《X》の兆しに当てはまるんじゃないか?」と考えました。
これは、筆者が実際にプレゼンで発表した資料の画像なります。(一部誤字修正しました。PPTをGoogleスライドに変換したので、配置がやや変わっているかもしれません)。
言ってみれば、それまでの医療、EBM及びさらに古典的な時代の医療では、いくつかの不自由で不平等な交換があったと思います。露悪的な言い方にはなりますが、
・医療者と患者の上下関係(不平等)
・治療方法の少なさ(不自由)
・治る病気の少なさ(不自由)
ここから、NBMが提唱され、さらには日々進歩している現在の医療は、昔と比べれば、
・チーム医療の存在(関係者の平等)
・治るか否かだけでなく、QOLを重視した患者一人一人の治療方針(治療方針の自由)
こんな風に、不自由から自由へ、不平等から平等へと、システムや価値観が変化していったのではないかと思うのです。
そして今後の医療の発展によって、「不自由・不平等から自由・平等へ」の流れは続くと思います。
柄谷氏が提唱した交換様式論と、そしてまだ認められないXという自由で平等な交換様式。以上が、NBMがその兆しの一つではないかと考えた理由とその考察でした。
プレゼンやその後に書いたレポートでは、さらにその将来性とか課題とか、あるいはビジネスモデルとか、そんなことも考察しています。
書き方が極端といいますか、理想論的な感じで書きましたので、この記事を読む医療関係者からすれば、もちろん反論その他いろいろな意見があるかもしれません。
ただ、医療は医療だけに留まっていては、進歩するものも進歩しきれないかもしれない。それ以外の領域から語ったり考えたりすることで、今まで見えなかった医療の『別の顔』というものが、ヒョコっと覗かせることもあるかもしれません。
医療もまた人間の歴史の一つ。発展の仕方には枠組みもあるかもしれない。となれば、医療のこれからの発展に寄与するヒントが、医療の成員一人一人ができる何かが、歴史や哲学やそういったものに隠れているかもしれないのです。