なぜ言語聴覚士になったのか〜人生に無駄なことはない〜 大学教員の人生の振り返りVOL2(留年からのフリーター生活) 

前回から)自堕落な大学生活をしながら、なんとか地場大手企業の最終面接までこぎつけるも、コンビニで就職試験の時間まで時間あったので、雑誌立ち読みしながらふと外を見ると「サラリーマンが狭い歩道を黙々と歩いている‼️」この光景を目の当たりにして「一生これをするのはムリ‼️」と一気にテンション下がってしまう(今考えればすごく幼稚だけどあの頃の私はそう思ってしまった)。その後の最終面接はもちろんウワノソラで、もちろん不合格、、、、、、 これをきっかけに「自分が何をやりたいのか」自分なりに考えるようになる。この時の一つの答えとして「理学療法士になりたい」である。その理由は①大学でそれなりにサッカー頑張ったこと②中学の時頭部外傷、、体育の授業中ソフトボールしていて、守備中ぶつかる。急性硬膜下血腫で緊急OPE(死にかけたらしい。臨床神経勉強した後ゾッとする)で2ヶ月入院した際、リハ室で筋トレしてた際PTに声かけられた。<このときSTもいた気がする(1990年代前半だから言語療法士?)が「大丈夫‼️」と言われた記憶>といった、大学4年としてはかなりあやふやな理由で大学中退する気持ちで専門学校受験するが、4年間遊んでいたため、すっかり中学生レベルの学力になっており、あえなく不合格となり、大学の単位も落としてしまい、しっかりと留年してしまう。そして留年中、リハビリの中に言語のリハビリをするSTなるものがあることを知り、留年中2校受験するも面接では「手話の人も喋れるようにしねければいけない‼️」と手話が第二言語であること、ノーマライゼーションのノの字、リハビリテーションのリの字もわかってないことを偉そうにいってしまうという今なら考えられない悪態をつき、もちろん不合格。そして父親に呼ばれ、「もう一年頑張ってダメなら、紹介した会社に入社しろ」とごもっともなことを言われ、フリーター生活へ https://www.kouyuto.com

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