食便から認知症患者の世界を考える

 昔、認知症の方で食便(便を食べた)をした患者さんがいました。何かにつけて不安そうに「わからねえよ」というその方は、便をいじって笑顔でスタッフに「これやるよ」と言うこともありました。
 その方が「何故食便をしたのか」を考えたいと思います。

 注意点として理学療法士の視点とは少し違います。筆者は心理学の本を読み漁った時期があり、今は大学で心理学を学んでいます。臨床心理士など資格保有者ではない、しかし一つの視点として考えるきっかけにしてほしいと思います。

 私たち(仮に健常成人)が見る世界は、言語や知識で形成された枠組みがあります。花は「花である」とわかり、車を「車がある」と言語化できる。逆に「花」や「車」と言えばそれをイメージできる。
 対して言語を持たない乳児や動物が見る世界。花を見ても「花」とは形容できず、車が走ってもそれが「車である」とも表せない。車の色、部品の名称、排気ガスの匂い、あらゆる言語的表現がありません。

 私たちの枠組みで装飾された世界、これが動物のように(と言えるかはわかりませんが)崩壊する世界を体験することはできます。例えば夢では枠組みは取り払われ、いるはずのない人がいたり、夢を見る人が逆の性別になってたり、山の上に海があったり、めちゃくちゃです。

 サルトルの『嘔吐』という本があります。筆者は未読ですが、主人公は自分の世界を構成しているものが枠組みを崩してすべて襲い掛かり、その情報量の多さと恐ろしさに嘔吐してしまう……という場面があるようなのです。

 先に書いた患者さんの不安な様子と便食が、筆者の中でリンクしました。

 認知症の方は脳機能の低下の影響で理論的な思考が難しいこともあると思います。一度形成された枠組みが崩壊し、その人は目に映る沢山のものが恐ろしい何かに見えて「わからない」と不安になっているんじゃないかと。
 その「恐ろしい何か」に比べれば、「便という何か」は自分の内から出て所在がはっきりしていて安心なのかなと、筆者は思ったのです。だからよくわからないご飯よりは安心できるし、安心できる便を人に分けてくれようとしたんじゃないか、とも考えたのです。

 重ねてですが専門的な視点ではありません。それでも患者さん個々の価値観という一期一会には、あらゆる知識や経験を持って、理解するための思考を続けたいと思います。

この話のきっかけとなった本
〈心理療法〉コレクションⅤ ユング心理学と仏教(著:河合隼雄)
意識と本質 精神的東洋を索めて(著:井筒俊彦)
etc…

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この記事を書いた人

関東在住の理学療法士。地域病院で急性期病床、地域包括ケア病床、介護療養病床の院内リハビリ、訪問リハビリテーションを経験。
現在は訪問看護事業所にて訪問リハビリテーション業務に従事中。

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