障害受容を「制約を楽しもう」から考えてみる

 障害受容という言葉があります。障害・病気など、およそ受け止めるのには苦労するそれと向き合い、それがあることを受け止めて、向き合うこと。
 医療関係としては「障害受容の5段階プロセス」なんかはよく耳にすることだと思いますし、医療職の学生さんにとっては国家試験対策でも勉強することがあるかもしれません。
 プロセスそのものはあくまで一般的なものであって、本当に受容するにあたっての過程は人それぞれ異なりますし、プロセスを踏むにしても、必ずしも順番通りになるわけでもない。段階が進んだり戻ったりすることもあるでしょう。

 「制約を楽しもう」という言葉は、とある外国の講演を翻訳したときの、その最後の言葉です。どうしてそのネットのページにたどり着いたのかも覚えていないのですが、障害受容に際してとても示唆に富む内容だと思うので、紹介しました。今でも私のスマホの古いところに、お気に入り登録されて読めるようにしてあります。

英語で読む「TED Talks」~「震えを受け入れる」フィル・ハンセン~

 ページのタイトルは《フィル・ハンセン「震えを受け入れる」》。
 氏は元々、点描(ペンなどで点を打ってその集合体で絵を描く)ことをしていた……だがある時震えが生じ、キレイな点が打てなくなって苦悩しました。
 だがある時、医師が「震えを受け入れてみては?」と話し、氏は震える手のまま、今までのきれいな点、真っすぐな線とは異なるグニャグニャの線を描いたと言います。

「私の求めていたものとは少し違っていましたが、それでも最高の気分でした」
「震えを受け入れてしまえば、製作を続けられることも大きかった」

 その後、氏は今までとは違う方法で様々なアートを生み出していきました。

「経験した事がないほど選択の幅が広がったせいで途方に暮れていたのです」
「創造性を取り戻したいなら、枠にとらわれないように努力するのではなく、枠の中に戻らなければ

 実際、この言葉はとても大事なことなのではないかと思います。
 芸術活動ができなくなることと、医療の現場で向き合うことの多い生活上の障害。それらは無思考に一緒くたにはできませんが、それでも障害を受容するうえで重なる部分はあると思います。

 「障害」という言葉が持つ負のイメージ。それはどうして嫌なものなのか?
 目標がある時、それを阻む障害をなくすのは難しい。ならばいっそのことその障害という壁を踏み台にする方法はないか?
 いっそのこと、目標そのものが、自分にとって良いものなのか?

 障害というものが、その人にとっての価値や芯となる碇となることを願ってやみません。その意味で、上の講演翻訳の最後の言葉で締めくくりたいと思います。

「制約を楽しもう」

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この記事を書いた人

関東在住の理学療法士。地域病院で急性期病床、地域包括ケア病床、介護療養病床の院内リハビリ、訪問リハビリテーションを経験。
現在は訪問看護事業所にて訪問リハビリテーション業務に従事中。

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