リハビリは「死」や「死後」にも関わる

 筆者は介護療養病棟の専従としてリハビリをしていた時期がありました。
 学生時代、「リハビリ」というと回復期病院や大学付属の急性期病院みたいな風景をイメージしていた筆者。
 それとは違って、筆者が当時勤めていたその病棟は、意思疎通ができる患者さんの方が少なく、胃瘻(口から食べることのできない人に対し、胃に管をつけて栄養を取っていただく感じ)の方も多く、ADL全介助というのも当たり前な環境です。
 そういった場所なので、「○○さんがご逝去されました」という情報共有を聞くのも珍しくない環境でした。
 そこでのリハビリの役割は一言で表せば「廃用予防」です。患者さんの身体機能・ADLの維持を目標とする。ADL全介助でも、可動域を維持すれば介助者が更衣や移乗の時に無理をすることもない──骨折や皮膚擦過傷など事故防止や患者さんの安楽な被介助を助けることに繋がります。

 そしてご逝去された患者さんをお見送りする時、考えることがあります。
 一つは「生前、患者さんのためになるようなリハビリができたか、また患者さんが全介助で動けない苦しみを少しでも取り除いてあげられたか」
 もう一つは「『今この時』、患者さんは納得されているか」です。

 『今この時』というのはご逝去された後の話。精神的なものではなくて、患者さんが家族と別れる瞬間、棺の中で安楽なお姿となっているか否かに注目しています。
 これは筆者が参加した拘縮予防の研修で得た視点なのですが、講師の方が務める病院で目標としていたのが「美しい姿で最期を迎えていただく」こと、つまりできる限り拘縮を悪化させず、棺の中で安らかな姿でいていただくことでした。
 仮に全身の拘縮がひどくなり、左右非対称となれば、失礼な言い方ですが苦しい姿となり遺族の方にとっても心残りになる。日本では火葬が主流であり、最期に故人の姿を見るのは葬儀場。そこで遺族は別れの、喪の作業を行います。
 そうなるとリハビリは、生前の患者さんご本人のQOLは基より、患者さんの死後、そして家族の喪に服す過程にすら影響を与えることになる。例え意識がなくとも、そこにある患者さんのお体を、生前の患者さんやご家族の方が納得されているか。

 生き方を決めるということは、死に様を決めるのと同じかもしれない。
 そしてリハビリは、患者さんの生き方(生活)と真摯に向き合う職業。
 リハビリは本人の生活だけじゃない、家族や「死」、そして亡くなった先にも関わっていると思うのです。

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この記事を書いた人

関東在住の理学療法士。地域病院で急性期病床、地域包括ケア病床、介護療養病床の院内リハビリ、訪問リハビリテーションを経験。
現在は訪問看護事業所にて訪問リハビリテーション業務に従事中。

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