「貴様は天皇陛下を侮辱するのかっ!?」
ある日、介護療養病棟で認知症の患者さんを相手にしていた時のこと。
その患者さんは俗にいう高齢者で、認知症を患いADL全介助、こちらが話しかけてもめったに反応を示さず、筆者や自分を一瞥しては「スン」と目をつぶるような方でした。頷きや首振りはしてくれます。
リハビリ目標はADLの維持(全介助ではありますが、介助者側の負担量を維持する=利用者の安楽さも維持)、リハビリ内容は車椅子に離床して刺激入力や起立練習……といったものです。
とまあそういう堅苦しいのは置いておいて。
その患者さんに挨拶し話しかけ、介助で端坐位に座っていただく。患者さんの眼の前で腰を下ろして、肩に手を添え移乗の準備をしていると、病室にあったラジオから当時話題だった「上皇陛下(当時の天皇陛下)の生前退位のニュース」が流れてきました。
その瞬間、患者さんはカッと目を見開いて、普段からは考えられない力で私の胸倉をつかみ、ぐわんぐわんと私を揺らしてきました。
そして叫んだのが冒頭の台詞でした。いやあ、驚いた。
患者さんは退位という言葉から「敬うべき御方への退位という扱い」を連想したり、あるいはラジオの言葉を私の言葉と誤認したりしたのかもしれません。
筆者は元々緊張強いなのですが、良くも悪くも病院やその患者さんに慣れていたためか、ほぼ反射的に「いやいや、そんなことないですよ。そうだったら僕警察に捕まってるけど、ここにいるじゃないですか」と返していました。慌ても怒りもせず、平然と。
そしたら患者さんも「ああ、そうかい」とまたスンっとなって、あとはいつも通り、私のお願いを聞いてくれて車椅子に乗り移ってリハビリを始めました。
平成に生まれた身としては、天皇家の方々は国民の象徴であり、敬いながらも親しみやすいイメージがあります。
しかし昭和も前半、第二次大戦の以前には国民にとって恐らく雲の上の存在だった。今とは全く違う価値観を持っている人が私たちのリハビリの対象者となりえる。
また、普段は衰えや認知症など、様々な理由で感情の表出をしなくなった人だって、常に心の中に生きる人間としてのエネルギーを抱えている。ほとんどの方と意思疎通ができない病棟だとしても同じこと。
特にオチはないのですが、そうした意識を忘れてはいけないのだと思う、5年以上たっても時々思い出す出来事でした。