皆さんはじめまして。
現在、理学療法士をしながら、プロコーチをしている鈴木秀彰と申します。
私の実家は寺院で、そんなご縁から私自身も僧侶になりました。
ただ、今は仕事ではなく、生き方として「僧侶」を選択しています。
きっとなぜそのような生き方を選択したのか、気になる方もいるかと思うのですが
ここでは、私が理学療法士6年目に、「僧侶と理学療法士、つまり仏教と医療が交わる分野はないか」と思案した末に、
選んだ終末期リハビリの話をします。お許しください。
当日終末期リハビリは今ほどメジャーではなく、現場のスタッフ間で必要性が見直しはじめられていた時代でした。
そんな時代に終末期リハビリの分野へ足を踏み入れた話を、何も知らなかった当時の気持ちを思い出しながら書き残そうと思います。
皆さんは僧侶と聞いてどのようなイメージを持ちますか?
多くの方は葬儀の際に来てくれる人をイメージされるのではないでしょうか。
当時の私は100名以上の葬儀に関わり、平日は理学療法士、週末は僧侶として生活を送っていました。
そんな私の特徴を活かし、自分にしか切り開けない道はないかと考えていた時にとある温泉施設でホスピス病棟の本に出会ったんです。
そこは、終末期の方が最期の時を過ごせる医療現場でした。
「自分の目指す道はこれに違いない!」
理学療法士であり、僧侶である自分になら終末期の方々にできることがあるはず。
憧れと自分自身への期待感を胸に、終末期リハビリの現場へ飛び込んだんです。
しかし、その期待感は一瞬にして壊れていきます。
それは今でも忘れない、初めて患者様の「看取り」に立ち会った時のことでした。
私は100名以上の葬儀に関わってきたにもかかわらず、終末期ケアを含めた看取りの経験がありませんでした。
目の前の方になにをしてあげられるのか。
僧侶としてなにかできることはないのか。
しかし、当時の私には何も思い浮かびません。
ただただ恐ろしく、何もできませんでした。
不安な気持ちも、医療従事者として押し殺すしかなかったのです。
そこで、私が取った行動は「逃げる」でした。
何もできない自分に絶望し、その場から逃げてしまったのです。
今でもその経験は私の胸になかに「キズ」として残っています。
なぜあのときそんな行動をとってしまったのか。
よくテレビドラマなどで研修医が患者様を救えず、逃げ出してしまうシーンがありますよね。
まさしく、あれが私でした。
その経験を経ても、なにもできない私が続きます。
そんな私に変わるきっかけをくれたエピソードは、また次回お話しますね。