仏教系理学療法士が逃亡後スタートしたこと

前回は看取りの場から逃げてしまった話をしました。

今日はそのあとの行動について述べます。

その後、私はどうしたかと言いますと

まずその場にいるようにしてみました。

つまり、目の前の患者さんから逃げない。

自分のできる限り、とことん向き合ってみようと思ったんです。

時間を作り、入室をして

いろいろな話をさせていただきました。

ときには1時間滞在するなんてザラだったと思います。

(入職当時は加算を取得していなかったので、こんなこともできました)

その中で気づけば

自然と人間関係ができあがり

どこか共にいる空間が心地よくなり

私を待ってくれる方まで現れたのです。

その中で

いろいろな課題や自分ができることはないかと

考えるようにもなりました。

もちろんそれは理学療法士としてはですが

ときには僧侶として、また私個人としてという

視点もあったと思います。

そうした視点を持って接する中で

私にとって一番の発見だったのは

患者さんそれぞれが持つ「気持ちのベクトルの方向」です。

これまでリハビリでご縁をいただく患者さんの多くは

良くなっていくのが前提というベクトルで動いています。

しかし、ここにいる方たちは決して上向きなベクトルの方たちばかりではありません。

むしろその逆で、気力・体力ともに落ちていく。

維持する期間をいかに継続していくか。

そんなことを考えて行動していました。

そんな中で私はある方を通して

この役割を見出す出来事があります。

それを次回話したいと思います。

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