「息子がね、お母さんは何もしなくていいからね」って言ってくれるの。
そんな風に話す笑顔のAさんの目は、なんとなく悲しげだった。
80代後半、脳梗塞の後遺症で軽度の左麻痺はあるものの、認知面は良好、日常生活も概ね自立されていた。
Aさんからこの言葉を聞いたのは、私が作業療法士になって2年目。
デイケアの配属になった頃だった。
リハビリメニューは前任の理学療法士から引き継いだ王道メニュー。
- 手足の運動(関節可動域訓練、筋力訓練)
- 立位訓練
- 歩行訓練
Aさんは物腰柔らかくおだやかで、いつも優しい。
要望を主張したりすることもない。
同じ定型リハビリをしていてよいだろうか・・・
作業療法士らしいリハビリを提供したいと思った私は、改めてメニューを見直すことにした。
脳梗塞発症前にどんな生活をしていたのか聞いてみた。
「家で家事をしながらのんびりしていたわ」
「一緒に住んでいる息子の食事を作ったり、洗濯や掃除をしてすごしていたね。」
と、Aさん。
わたしは「それならまた家事をしてみてはどうですか?」と尋ねると、冒頭の言葉が出てきたのである。
「何もしなくてもいいからね。って言ってくれるの。」
「包丁はずっと握っていないし、危ないからダメって言われてる。」
「何かあったら迷惑かけるし、もう家事はいいの」
Aさんが今後やってみたい作業活動を聞き出せないままその日は終わってしまった。
次にAさんがデイケアに来られる日、私はキュウリを1本、家から持参した。
リハビリの時間に提案した。
「キュウリを切ってみませんか?」
本来ならばご本人と希望をすり合わせてから介入すべきなのかもしれない。
けれど、やや強引にわたしはADL室(リハビリ室の一角にあるキッチンがある部屋)へ案内した。
左片麻痺のあるAさんだが、きゅうりに左手を添えて抑える程度は可能だ。
トン トン トン
まな板に響く、丁寧な包丁の音。
丸くなって転がるきゅうり。
Aさんとわたしは顔を見合わせて笑った。
「ありがとう」
Aさんはそう言って、その日のリハビリは終了した。
毎度、野菜をもっていくわけにはいかないのと、体力維持のためにも立位訓練や歩行訓練は重要なので、その後のリハビリは元のメニューをしたり、時々、手作業をしたりといった介入になった。
当時のわたしはまだ未熟だったことや、リハビリスタッフが家族に会う機会が滅多になかったこともあり、息子さんにきゅうりの一件をお伝えすることができなかった。
その後も、Aさんは自宅で包丁を握ることはなかった。
Aさん自身も「何もしなくていい」状態に慣れすぎてしまっていたのかもしれない。
本人ができる作業、すべき作業を奪ってしまうことを作業科学の中で「作業剥奪」という。
作業剥奪が起きると、本来持っていたはずの作業に対する意欲まで低下してしまう。
ここに至る前に介入できたら、違ったのかもしれない。
(もちろん、これはわたしの思い込みでAさん自身、本当に「何もしなくていい」ことを望んでいたのかもしれない。)
今、母になって思う。
わたしはこどもたちの作業を剥奪していないだろうか。
靴を履かせてあげて、
服のボタンを留めてあげて、
魚の骨をとってあげて。
おとなと同じようにできないから、といって優しさに見せかけて作業を奪っているのではないか。
時間がないから、を言い訳にして「やってあげて」いるのではないか。
優しさの仮面をかぶって、作業を剥奪しないようにしたい。
彼らの意欲の種をつぶさないように。
リハビリ対象者さんも、こどもも、可能性は無限大。